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株式会社ふるさと鹿野
鳥取市鹿野往来交流館 童里夢

〒689-0405
鳥取県鳥取市鹿野町鹿野1353
TEL 0857-38-0030
FAX 0857-38-0031

開館時間 9:00~17:30
※館内メンテナンスのため、急遽休館日を頂く場合がございます。


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西いなばを知る

西いなばの歴史

鹿野城主 亀井茲矩(かめいこれのり)

【鹿野城主 亀井茲矩(かめいこれのり)】
1557(弘治3)年出雲の湯ノ庄(玉湯町)で生まれ、尼子の家臣湯左衛門尉永綱を父とし湯新十郎と名乗ります。1572(元亀3)年まで旧臣の家で養われ、同年末に出雲を去って因幡の山宮(気高町)の井村覚兵衛の所に身を寄せました。翌天正元年夏尼子勝久・山中幸盛らの因幡進攻を知り、桐山城(岩美町)に幸盛を訪ねて、これ以後は幸盛とともに戦います。天正2年2月若桜谷の矢部行綱を討ち、4月中旬幸盛の養女時子(亀井能登守秀綱の二女・幸盛の妻の妹)を妻にして亀井の家を継ぎます。茲矩の諱は初め之子また眞矩といい、字は長卿です。
 

山中鹿介と幸盛寺

山中 鹿介 幸盛(やまなか しかのすけ ゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。尼子氏の家臣。実名は幸盛(ゆきもり)、幼名は甚次郎(じんじろう)。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は有名です。 鹿野城主となった茲矩は、家臣団を備中高梁川に派遣し、鹿介の遺骨を鹿野に持ち帰らせ、霊を慰めるため寺と墓を建てました。寺の名は鹿介の別名・幸盛(ゆきもり)から「幸盛寺(こうせいじ)」と名づけられました。

  幸盛寺には、鹿介の墓が建てられた時期に植えられたイチョウの木があり、現在では樹齢400年を超え、高さは40m近い巨木となっています。  

青谷上寺地遺跡

約2200年前の弥生時代から1700年前の古墳時代までの遺物が出土しています。
出土品には多くの土器や石器をはじめ農具や漁具、他にも青谷周辺ではヒスイやサヌカイト、北陸・近畿・山陽地方の土器なども出土しており、潟湖のほとりで海や山を越えた交易を行いながら生活していたことがわかりました。日本で初めて弥生人の脳が発見された遺跡として有名です。

西いなばの特産品

鳥取地どりピヨ(鹿野地鶏)

鳥取地どりピヨ(鹿野地鶏)はシャモ(軍鶏)をベースに鳥取県中小家畜試験場で長期にわたり研究し、作出された鳥取の地鶏です。
「鳥取地どりピヨ」は、品種や飼育方法など様々な条件をクリアしたものだけが名乗ることができ、その鳥取地どりを自然豊かな鹿野町で育てた鶏こそが高級ブランド「鹿野地鶏」です。
 
「鳥取地どりピヨ(鹿野地鶏)」は水、空気、土ともに恵まれた素晴らしい自然環境の鹿野町内で、広い鶏舎の中を自由に走り回り、こだわりの飼料のみを与え続けることで、一層美味しく育ちます。
 
歯ごたえが良く低脂肪でコクがあり、ブロイラーとは一味違う鶏肉本来の野性味あふれる懐かしい味が特徴です。水炊き、焼き鳥、唐揚げはもちろん、すき焼きなどでもおいしくお召し上がりいただけます。

生姜

鹿野町と気高町(日光生姜/瑞穂生姜)では生姜の栽培が盛んに行われており、約400年以上前に鹿野城主亀井玆矩公が朱印船貿易により東南アジアから持ち帰り栽培を奨励したことが起源といわれています。
生姜を使ったせんべいや饅頭、生姜パウダーなどの加工品も作られており、気高町では生姜のイベントも開催されています。
 
収穫された生姜は、横穴を利用した「生姜穴」で半年以上貯蔵され、熟成されることで生姜の美味しさと効能をより一層引き出しています。

鹿野そば

鹿野町では、夏に種を蒔き、10月末から11月頃に収穫の時期を迎えます。鹿野そばは、地元で収穫された上質な玄そばを使用した十割そばです。徹底した管理のもと、低温貯蔵し常に新鮮な状態で保管し、そば打ちの前日に精粉し皆様に提供しております。
 

(そばの花の見ごろ:9月中旬から10日間程 )

 

かりん坊・かりんちゃん

100%鹿野産のそばの実が入った、和みの里工房オリジナルかりんとうです。

歯ごたえ満点の『かりん坊』、粉砂糖でコーティングしたほんのり甘い『かりんちゃん』の2種類あり、どちらもクセになるおいしさです。

西いなばの民芸品・工芸品

因州和紙

因州和紙の歴史は古く、およそ千三百年以前から作られていたと言われています。東京は浅草にある浅草寺の大提灯にも因州和紙が使われました。
「いくら書いても筆先が傷まず、墨のかすれがなく長く書ける」
この2つの意味から名付けられた高品質の和紙「筆切れず」の他に、多くの書道半紙、画仙紙などが生産されています。
紙すきの原料となる「楮(こうぞ)」「三椏(みつまた)」「雁皮(がんぴ)」と清流に恵まれた青谷町日置地区には、今日も紙漉き職人達が「ちゃっぽん、ちゃっぽん」と簀桁を 操る音が響いています。
 

鹿野すげ笠

鹿野城主亀井茲矩が400年前に農村振興の一助に農家の副業として奨励して作らせていたのが「鹿野すげ笠」です。「すげ」は軽くて蒸れないため、現在でも広く愛用されています。
 
 
 

ウマモナド

鹿野の妖精で、生みの親、馬田さんの『ウマ』と、ドイツの哲学者ライブニッツの単子論の単子を意味する『モナド』を組み合わせて『ウマモナド』と名づけられました。かわいい素焼きの人形は「かちみ園」、Tシャツなどの雑貨は「すずかけ」で製作されています。ウマモナドは鹿野城下を歩くといろいろな所で出会えます。

西いなばの祭礼・民俗文化

鹿野祭り

「鳥取県無形民俗文化財」に指定されており400年の歴史あり2年に1回開催されます。加治町の太鼓・笛・榊、大工町の屋台「玄武」、紺屋町の幟差し、山根町の屋台「朱雀」、下町の屋台「二転門」、上町の太鼓・笛・獅子・猩々・屋台「青龍」、殿町の御神輿、神官、後供の順に行列が進行します。
 近年、宵祭り・本祭りは4月の第2土日に行われます。

貝がら節

浜村温泉に伝わる海の代表的な民謡。
起源は定かではないですが、漁業の重労働の耐えなければならなかった漁夫たちの魂を揺さぶって伝承されてきました。戦後には踊りやすいように振付がなおされ、現在も8月上旬に行われる「貝がら節祭り」では「総踊り」として数十分にわたって踊り続けます。
昭和28年の朝日放送局開局1周年行事に行われた全国民謡コンクールで1位となり、全国に名が知られることとなりました。
 
 

亀井踊

県の無形民俗文化財に指定されている伝統芸能『亀井踊』
因幡各地に残る最も古い優美な踊り「はねそ踊り」の一つで、音頭3人、太鼓1人、傘振2人、踊り手6人で構成されています。
他のはねそ踊りとは、紋付黒装束の踊子によって踊られること、踊りの振りなどが異なっています。
昭和49年に亀井踊の継承・保存と発表、および普及のため「鹿野亀井踊保存会」発足されました。

亀井太鼓

「鹿野亀井踊保存会」発足後、宝塚歌劇団の指導者の協力を得て、亀井踊にまつわる亀井公と兵主源六との闘争を表現した創作太鼓「鹿野亀井太鼓」。
鹿野城下町で行われる「鹿野祭り」で使用されていた甲冑を身につけて演奏するのが特徴です。 

その他

鹿野ふるさとミュージカル

1987(昭和62年)鹿野町民音楽祭実行委員会が中心となり、宝塚歌劇団はじめ京阪神地域の音楽・演劇関係者の支援を受けながら町民手作りの「ふるさとミュージカル」がおこなわれるようになりました。
出演者とスタッフを毎年公募し、脚本・キャスティング・公演までを地域住民が主体となり年に1度、1日2回の公演のため半年間にわたって練習を重ねています。
 
鹿野町の伝説などをテーマとした5つのオリジナル作品が制作されています。
1987年「さくら姫物語」
1992年「踊り見の城」
1995年「鹿野に祭りが蘇る日」
1999年「鹿野の蒼白い夜」
2002年「鹿野にはかっぱやまどりくもの糸!」
2013年「アユタヤにはじけて候」
 
1997年地域づくり優良団体として「自治大臣表彰」受賞。
2004年鹿野町民音楽祭実行員会が「鳥取市文化賞」受賞。
 
鹿野の伝説と昔話→さくら姫物語
 
第29回鹿野ふるさとミュージカル「音楽劇さくら姫物語」公演情報
【日にち】平成28年2月28日(日)
【 時 間 】14:00開演(開場は開演30分前)
【 会 場 】鳥取市民会館
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